フィリピンセブ島観光 現地の人にも人気のアクティビティー 「キャニオニング」
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小さい時
知らない所へ出かけるのが大好きで、幼稚園を出るころにはすでにたくさんの冒険に出かけていました。
同じ町内の山本さん宅の犬小屋滞在に始まり、建材屋さんの砂利の登山、基礎工事中の建築現場の探検、大人達が見守っていてくれていたのだと思います。
ありがとうございました。
学生時代
ガンズやモトリーなど洋楽のハードロック、フーファイターズなどのグランジミュージックにどっぷり浸かり、頭の中はいつもアメリカL.Aでいっぱいでした。
音楽雑誌「BURRN!」や「MUSIC LIFE」の切り抜きを下敷きに挟み、
すきなバンドの出ている番組をチェックしてはミュージックTVを録画し何度も何度も繰り返し見ていました。
そのおかげで??英米語科を卒業、夢の海外生活に飛び出しました。
full満足の海外生活で決意した【整備士】
オーストラリアのワーキングホリデービザを取得し、目につくもの手当たり次第にトライして2年半、元気いっぱいに過ごしました。友達もたくさん出来ました。
住むところもお金もないさすらいの私を泊めてくれたり、息子に(なんで?)そっくりと言って毎晩ご飯をわけてくれたり、バナナ工場で欠員が出た時拾ってもらえる裏技を教えてくれたり、たくさんの人が助けてくれました。
住み込みのベビーシッターや動物保護のボランティア、海外ドラマでよく見るシェアハウス、週末はお決まりのBBQ。ビーチや川でキャンプ。たくさんの経験をしました。
真っ黒に日焼けし、現地原住民のアボリジニをもじって「ジャボリジニ」とあだ名がついたころ、運命の出会いが。
ケアンズやゴールドコーストと同じクイーンズランド州の小さな町タリー。
バナナ工場で傷んだバナナと出荷できるバナナを分ける選定「ピッキング」のアルバイトをしていました。
当時住んでいたシェアハウスの隣にイタリア移民のジョニーの経営する、町で一つの自動車修理工場がありました。
そこで住み込みで働く少し年上のポール。時々食事をするようになり、数カ月後、私たちはオーストラリア一周の旅に出ます。
古いホールデン(オーストラリアの車メーカー)、キングスウッドという車で
砂漠地帯を抜け、4万年以上前のアボリジニの痕跡や壁画の残されている世界遺産の国立公園、地面に落ちる何本もの稲妻の中を車で祈りながら通過したり、オーストラリア固有種であるフェアリーペンギン(ミニペンギン)を見たり、カンガルー肉のBBQをごちそうになったり。
笑って、飲んで、喧嘩もしながら日本の22倍の国土を移動しました。
古いキングスウッドは長い旅の途中、何度か故障しました。
赤土の地平線の見える一本道の真ん中で突然ストップ。
私一人だったらどうなっていたことか。
ラジエーターの故障の時は村の解体屋にウイスキー1本でOKをもらい、廃車の中から使えそうな部品を外して使いました。
ブレーキが効かなくなったり、エンジンが止まったり、何もない道の真ん中ではどうする事もできません。隣の町までは何キロもあります。困っている人の車を助けた事も何度かありました。
修理工の彼で良かった。ステキすぎる。
西海岸の小さな町。夕日のきれいなレストランで映画のような片膝をついてのプロポーズを受けました。
選んだ答えは、まさかの「日本に帰って整備士になる!」
実際のところ彼は日本に興味なし、日本語もわからない。私も自分のやりたい事が山積み、英語より日本語で整備士の勉強した方がよさそう。
遠距離恋愛の末、警察のお世話なるほどの大喧嘩もあったけど、今では笑えます。
やっぱり、整備士免許取っててよかった。
日本の自動車修理工場で働く
24歳、女、車修理の経験なしでしたが、運よく車屋の仕事に就く事ができました。
年下の男の子に混ざっての研修、要らないって言われないように頑張りました。
塗装部門に配属され以来20年塗装をしてきました。
仲間にも恵まれ、休日出勤も残業も作業自体が楽しくて、工場にいるのが1番好きでした。
懲りずに整備士に恋をし(現在もまたですが)大失恋で鬱になって。
人生の大事なものって何?
やりたかった事って塗装だけ?工場と結婚する事は出来ないし。
もっと生きてる感覚が欲しい。あんなに私にぴったりなのはオーストラリアだけなの?
他の国も見てみたいと思い、とうとう仕事を辞めて出国してしまいました。
国外放浪生活の始まり
雑誌で見た「ネパール」へ。旅行の雑誌の特別特集でした。タイトルは「弱肉強食のただなかで眠る本物の野生に出会う旅チトワン国立公園」
いつかは行ってみたなと思っていた場所です。
美しく厳しいヒマラヤ、鮮やかな民族衣装の山の村の人たち、町の中の香辛料の香り、神々を祭る寺院、生きた女神、生け贄の儀式。
この感じ。鼻からスーッと空気が入って肺の中がいっぱいになって頭の中がシャキっとして毛穴が全部ひらいて血管の中を血がぶわっと動く感じ。
そこからは数日でも行けないより良いと考えるようになり、チャンスを見つけては旅行するようになりました。
神々の住む島バリ、家族旅行で1回。ヒルトン泊。
オーストラリアからビザの延長手続きの為1人で内乱の中滞在。2回目。
カナダ、花の街バンクーバー、ビクトリア大学サマースクール参加、女子寮滞在。
アメリカ、夢のL.Aハリウッド、ワシントンD.C ホワイトハウス、FBI本部、アーリントン墓地など観光。
カナダ、憧れのウイスラーでスキー。
アメリカ、デンバーの動物保護施設RSPCAで動物保護の勉強会。
初めてのフィリピン。知人宅滞在。
山崎朋子氏の著書「サンダカン8番娼館」を読んだら行ってしまった、ボルネオ島のサンダカン。
もう1度フィリピン、貧困問題についてのスタディーツアー。
姪のレスリング国際大会の応援を兼ねてブルガリアでヨーグルトを食す。
となりのルーマニアでドラキュラ伝説の城を見学。
スウェーデンの試合の為、デンマークから列車とフェリーでフィヨルド体験。
帰りに古都パリでフランスパンをかじる。
結局フィリピンで暮らしたくなって、またまたフィリピンに戻る。
やっぱりフィリピン
1ヶ月間フィリピン人の一般家庭に滞在し、彼らの文化に触れる機会がありました。
彼らのホスピタリティ精神、コミュニケーション能力は高く、大人も子供も自分が大好きで、自信があります。
気持ちを表現しない、自信がなく躊躇して行動出来ない自分に気づかされます。
今でも休みが取れると訪ねていき、色々な事を教えてもらっています。
放浪を続ける理由
日常から解放され、気持ちを切り替える事が出来ると、忘れていた大切な事を思いだせたり、もっと仕事を頑張れたり、日々の小さな幸せに気が付いたり、不安や迷いも吹き飛び、とにかく元気が出ます。
短期の休みでも旅行を満喫出来て、帰ったら「さあ頑張るか!」と思える旅。
10ヶ国以上旅をし、出会ったのが「フィリピン」です。
特別の旅行でなく、気軽にリフレッシュできるので是非旅を満喫して元気になってもらいたい。
旅で心のフル充電して、充実した毎日を送れるといいなと思います。
子供のころから知らない所へ出かけるのが大好きで、幼稚園を出るころにはすでにたくさんの冒険に出かけていました。
同じ町内の山本さん宅の犬小屋滞在に始まり、建材屋さんの砂利の登山、基礎工事中の建築現場の探検、大人達が見守っていてくれていたのだと思います。
学生時代はガンズやモトリーなど洋楽のハードロックやグランジミュージックにどっぷり浸かり、頭の中はいつもアメリカL.Aでいっぱいでした。
音楽雑誌「BURRN!」や「MUSIC LIFE」の切り抜きを下敷きに挟み、
すきなバンドの出ている番組をチェックしてはミュージックTVを録画し何度も繰り返し見ていました。
そのおかげで??英米語科を卒業、夢の海外生活に飛び出しました。
オーストラリアのワーキングホリデービザを取得し、目につくもの手当たり次第にトライして2年半、元気いっぱいに過ごしました。友達もたくさん出来ました。
住むところもお金もないさすらいの私を泊めてくれたり、息子に(なんで?)そっくりと言って毎晩ご飯をわけてくれたり、バナナ工場で欠員が出た時拾ってもらえる裏技を教えてくれたり、たくさんの人が助けてくれました。
住み込みのベビーシッターや動物保護のボランティア、海外ドラマでよく見るシェアハウス、週末はお決まりのBBQ。ビーチや川でキャンプ。たくさんの経験をしました。
真っ黒に日焼けし、現地原住民のアボリジニをもじって「ジャボリジニ」とあだ名がついたころ、運命の出会いが。
ケアンズやゴールドコーストと同じクイーンズランド州の小さな町タリー。
バナナ工場で傷んだバナナと出荷できるバナナを分ける選定「ピッキング」のアルバイトをしていました。
当時住んでいたシェアハウスの隣にイタリア移民のジョニーの経営する、町で一つの自動車修理工場がありました。そこで住み込みで働く少し年上のポール。時々食事をするようになり、数カ月後、私たちはオーストラリア一周の旅に出ます。
古いホールデン(オーストラリアの車メーカー)、キングスウッドという車で
砂漠地帯を抜け、4万年以上前のアボリジニの痕跡や壁画の残されている世界遺産の国立公園、地面に落ちる何本もの稲妻の中を車で祈りながら通過したり、オーストラリア固有種であるフェアリーペンギン(ミニペンギン)を見たり、カンガルー肉のBBQをごちそうになったり。
笑って、飲んで、喧嘩もしながら日本の22倍の国土を移動しました。
古いキングスウッドは長い旅の途中、何度か故障しました。
赤土の地平線の見える一本道の真ん中で突然ストップ。
私一人だったらどうなっていたことか。
ラジエーターの故障の時は村の解体屋にウイスキー1本でOKをもらい、廃車の中から使えそうな部品を外して使いました。
ブレーキが効かなくなったり、エンジンが止まったり、何もない道の真ん中ではどうする事もできません。隣の町までは何キロもあります。困っている人の車を助けた事も何度かありました。
修理工の彼で良かった。ステキすぎる。
西海岸の小さな町。夕日のきれいなレストランで映画のような片膝をついてのプロポーズを受けました。
選んだ答えは、まさかの「日本に帰って整備士になる!」
実際のところ彼は日本に興味なし、日本語もわからない。私も自分のやりたい事が山積み、英語より日本語で整備士の勉強した方がよさそう。
遠距離恋愛の末、警察のお世話なるほどの大喧嘩もあったけど、今では笑えます。
やっぱり、整備士免許取っててよかった。
24歳、女、車修理の経験なしでしたが、運よく車屋の仕事に就く事ができました。
年下の男の子に混ざっての研修、要らないって言われないように頑張りました。
塗装部門に配属され以来20年塗装をしてきました。
仲間にも恵まれ、休日出勤も残業も作業自体が楽しくて、工場にいるのが1番好きでした。
懲りずに整備士に恋をし(現在もまたですが)大失恋で鬱になって。
人生の大事なものって何?
やりたかった事って塗装だけ?工場と結婚する事は出来ないし。
もっと生きてる感覚が欲しい。あんなに私にぴったりなのはオーストラリアだけなの?
他の国も見てみたいと思い、とうとう仕事を辞めて出国してしまいました。
雑誌で見た「ネパール」へ。旅行の雑誌の特別特集でした。タイトルは「弱肉強食のただなかで眠る本物の野生に出会う旅チトワン国立公園」
いつかは行ってみたなと思っていた場所です。
美しく厳しいヒマラヤ、鮮やかな民族衣装の山の村の人たち、町の中の香辛料の香り、神々を祭る寺院、生きた女神、生け贄の儀式。
この感じ。鼻からスーッと空気が入って肺の中がいっぱいになって頭の中がシャキっとして毛穴が全部ひらいて血管の中を血がぶわっと動く感じ。
そこからは数日でも行けないより良いと考えるようになり、チャンスを見つけては旅行するようになりました。
神々の住む島バリ、家族旅行で1回。ヒルトン泊。
オーストラリアからビザの延長手続きの為1人で内乱の中滞在。2回目。
カナダ、花の街バンクーバー、ビクトリア大学サマースクール参加、女子寮滞在。
アメリカ、夢のL.Aハリウッド、ワシントンD.C ホワイトハウス、FBI本部、アーリントン墓地など観光。
カナダ、憧れのウイスラーでスキー。
アメリカ、デンバーの動物保護施設RSPCAで動物保護の勉強会。
初めてのフィリピン。知人宅滞在。
山崎朋子氏の著書「サンダカン8番娼館」を読んだら行ってしまった、ボルネオ島のサンダカン。
もう1度フィリピン、貧困問題についてのスタディーツアー。
姪のレスリング国際大会の応援を兼ねてブルガリアでヨーグルトを食す。
となりのルーマニアでドラキュラ伝説の城を見学。
スウェーデンの試合の為、デンマークから列車とフェリーでフィヨルド体験。
帰りに古都パリでフランスパンをかじる。
結局フィリピンで暮らしたくなって、またまたフィリピンに戻る。
1ヶ月間フィリピン人の一般家庭に滞在し、彼らの文化に触れる機会がありました。
彼らのホスピタリティ精神、コミュニケーション能力は高く、大人も子供も自分が大好きで、自信があります。
気持ちを表現しない、自信がなく躊躇して行動出来ない自分に気づかされます。
今でも休みが取れると訪ねていき、色々な事を教えてもらっています。
日常から解放され、気持ちを切り替える事が出来ると、忘れていた大切な事を思いだせたり、もっと仕事を頑張れたり、日々の小さな幸せに気が付いたり、不安や迷いも吹き飛び、とにかく元気が出ます。
短期の休みで旅行を満喫出来て、帰ったら「さあ頑張るか!」と思える旅。
10ヶ国以上旅をし、出会ったのが「フィリピン」です。
恵まれない環境に置かれても、透き通った目で生きている子供達
特別の旅行でなく、気軽にリフレッシュできるので是非旅を満喫して元気になってもらいたい。
海外が不安な方も安心して海外に出られるようにサポートしたい。
旅で心のフル充電して、充実した日常を送ってもらえればと思います。
子供のころから知らない所へ出かけるのが大好きで、幼稚園を出るころにはすでにたくさんの冒険に出かけていました。
同じ町内の山本さん宅の犬小屋滞在に始まり、建材屋さんの砂利の登山、基礎工事中の建築現場の探検、大人達が見守っていてくれていたのだと思います。
学生時代はガンズやモトリーなど洋楽のハードロックやグランジミュージックにどっぷり浸かり、頭の中はいつもアメリカL.Aでいっぱいでした。
音楽雑誌「BURRN!」や「MUSIC LIFE」の切り抜きを下敷きに挟み、
すきなバンドの出ている番組をチェックしてはミュージックTVを録画し何度も繰り返し見ていました。
そのおかげで??英米語科を卒業、夢の海外生活に飛び出しました。
オーストラリアのワーキングホリデービザを取得し、目につくもの手当たり次第にトライして2年半、元気いっぱいに過ごしました。友達もたくさん出来ました。
住むところもお金もないさすらいの私を泊めてくれたり、息子に(なんで?)そっくりと言って毎晩ご飯をわけてくれたり、バナナ工場で欠員が出た時拾ってもらえる裏技を教えてくれたり、たくさんの人が助けてくれました。
住み込みのベビーシッターや動物保護のボランティア、海外ドラマでよく見るシェアハウス、週末はお決まりのBBQ。ビーチや川でキャンプ。たくさんの経験をしました。
真っ黒に日焼けし、現地原住民のアボリジニをもじって「ジャボリジニ」とあだ名がついたころ、運命の出会いが。
ケアンズやゴールドコーストと同じクイーンズランド州の小さな町タリー。
バナナ工場で傷んだバナナと出荷できるバナナを分ける選定「ピッキング」のアルバイトをしていました。
当時住んでいたシェアハウスの隣にイタリア移民のジョニーの経営する、町で一つの自動車修理工場がありました。そこで住み込みで働く少し年上のポール。時々食事をするようになり、数カ月後、私たちはオーストラリア一周の旅に出ます。
古いホールデン(オーストラリアの車メーカー)、キングスウッドという車で
砂漠地帯を抜け、4万年以上前のアボリジニの痕跡や壁画の残されている世界遺産の国立公園、地面に落ちる何本もの稲妻の中を車で祈りながら通過したり、オーストラリア固有種であるフェアリーペンギン(ミニペンギン)を見たり、カンガルー肉のBBQをごちそうになったり。
笑って、飲んで、喧嘩もしながら日本の22倍の国土を移動しました。
古いキングスウッドは長い旅の途中、何度か故障しました。
赤土の地平線の見える一本道の真ん中で突然ストップ。
私一人だったらどうなっていたことか。
ラジエーターの故障の時は村の解体屋にウイスキー1本でOKをもらい、廃車の中から使えそうな部品を外して使いました。
ブレーキが効かなくなったり、エンジンが止まったり、何もない道の真ん中ではどうする事もできません。隣の町までは何キロもあります。困っている人の車を助けた事も何度かありました。
修理工の彼で良かった。ステキすぎる。
西海岸の小さな町。夕日のきれいなレストランで映画のような片膝をついてのプロポーズを受けました。
選んだ答えは、まさかの「日本に帰って整備士になる!」
実際のところ彼は日本に興味なし、日本語もわからない。私も自分のやりたい事が山積み、英語より日本語で整備士の勉強した方がよさそう。
遠距離恋愛の末、警察のお世話なるほどの大喧嘩もあったけど、今では笑えます。
やっぱり、整備士免許取っててよかった。
24歳、女、車修理の経験なしでしたが、運よく車屋の仕事に就く事ができました。
年下の男の子に混ざっての研修、要らないって言われないように頑張りました。
塗装部門に配属され以来20年塗装をしてきました。
仲間にも恵まれ、休日出勤も残業も作業自体が楽しくて、工場にいるのが1番好きでした。
懲りずに整備士に恋をし(現在もまたですが)大失恋で鬱になって。
人生の大事なものって何?
やりたかった事って塗装だけ?工場と結婚する事は出来ないし。
もっと生きてる感覚が欲しい。あんなに私にぴったりなのはオーストラリアだけなの?
他の国も見てみたいと思い、とうとう仕事を辞めて出国してしまいました。
雑誌で見た「ネパール」へ。旅行の雑誌の特別特集でした。タイトルは「弱肉強食のただなかで眠る本物の野生に出会う旅チトワン国立公園」
いつかは行ってみたなと思っていた場所です。
美しく厳しいヒマラヤ、鮮やかな民族衣装の山の村の人たち、町の中の香辛料の香り、神々を祭る寺院、生きた女神、生け贄の儀式。
この感じ。鼻からスーッと空気が入って肺の中がいっぱいになって頭の中がシャキっとして毛穴が全部ひらいて血管の中を血がぶわっと動く感じ。
そこからは数日でも行けないより良いと考えるようになり、チャンスを見つけては旅行するようになりました。
神々の住む島バリ、家族旅行で1回。ヒルトン泊。
オーストラリアからビザの延長手続きの為1人で内乱の中滞在。2回目。
カナダ、花の街バンクーバー、ビクトリア大学サマースクール参加、女子寮滞在。
アメリカ、夢のL.Aハリウッド、ワシントンD.C ホワイトハウス、FBI本部、アーリントン墓地など観光。
カナダ、憧れのウイスラーでスキー。
アメリカ、デンバーの動物保護施設RSPCAで動物保護の勉強会。
初めてのフィリピン。知人宅滞在。
山崎朋子氏の著書「サンダカン8番娼館」を読んだら行ってしまった、ボルネオ島のサンダカン。
もう1度フィリピン、貧困問題についてのスタディーツアー。
姪のレスリング国際大会の応援を兼ねてブルガリアでヨーグルトを食す。
となりのルーマニアでドラキュラ伝説の城を見学。
スウェーデンの試合の為、デンマークから列車とフェリーでフィヨルド体験。
帰りに古都パリでフランスパンをかじる。
結局フィリピンで暮らしたくなって、またまたフィリピンに戻る。
1ヶ月間フィリピン人の一般家庭に滞在し、彼らの文化に触れる機会がありました。
彼らのホスピタリティ精神、コミュニケーション能力は高く、大人も子供も自分が大好きで、自信があります。
気持ちを表現しない、自信がなく躊躇して行動出来ない自分に気づかされます。
今でも休みが取れると訪ねていき、色々な事を教えてもらっています。
日常から解放され、気持ちを切り替える事が出来ると、忘れていた大切な事を思いだせたり、もっと仕事を頑張れたり、日々の小さな幸せに気が付いたり、不安や迷いも吹き飛び、とにかく元気が出ます。
短期の休みで旅行を満喫出来て、帰ったら「さあ頑張るか!」と思える旅。
10ヶ国以上旅をし、出会ったのが「フィリピン」です。
恵まれない環境に置かれても、透き通った目で生きている子供達
特別の旅行でなく、気軽にリフレッシュできるので是非旅を満喫して元気になってもらいたい。
海外が不安な方も安心して海外に出られるようにサポートしたい。
旅で心のフル充電して、充実した日常を送ってもらえればと思います。
子供のころから知らない所へ出かけるのが大好きで、幼稚園を出るころにはすでにたくさんの冒険に出かけていました。
同じ町内の山本さん宅の犬小屋滞在に始まり、建材屋さんの砂利の登山、基礎工事中の建築現場の探検、大人達が見守っていてくれていたのだと思います。
学生時代はガンズやモトリーなど洋楽のハードロックやグランジミュージックにどっぷり浸かり、頭の中はいつもアメリカL.Aでいっぱいでした。
音楽雑誌「BURRN!」や「MUSIC LIFE」の切り抜きを下敷きに挟み、
すきなバンドの出ている番組をチェックしてはミュージックTVを録画し何度も繰り返し見ていました。
そのおかげで??英米語科を卒業、夢の海外生活に飛び出しました。
オーストラリアのワーキングホリデービザを取得し、目につくもの手当たり次第にトライして2年半、元気いっぱいに過ごしました。友達もたくさん出来ました。
住むところもお金もないさすらいの私を泊めてくれたり、息子に(なんで?)そっくりと言って毎晩ご飯をわけてくれたり、バナナ工場で欠員が出た時拾ってもらえる裏技を教えてくれたり、たくさんの人が助けてくれました。
住み込みのベビーシッターや動物保護のボランティア、海外ドラマでよく見るシェアハウス、週末はお決まりのBBQ。ビーチや川でキャンプ。たくさんの経験をしました。
真っ黒に日焼けし、現地原住民のアボリジニをもじって「ジャボリジニ」とあだ名がついたころ、運命の出会いが。
ケアンズやゴールドコーストと同じクイーンズランド州の小さな町タリー。
バナナ工場で傷んだバナナと出荷できるバナナを分ける選定「ピッキング」のアルバイトをしていました。
当時住んでいたシェアハウスの隣にイタリア移民のジョニーの経営する、町で一つの自動車修理工場がありました。そこで住み込みで働く少し年上のポール。時々食事をするようになり、数カ月後、私たちはオーストラリア一周の旅に出ます。
古いホールデン(オーストラリアの車メーカー)、キングスウッドという車で
砂漠地帯を抜け、4万年以上前のアボリジニの痕跡や壁画の残されている世界遺産の国立公園、地面に落ちる何本もの稲妻の中を車で祈りながら通過したり、オーストラリア固有種であるフェアリーペンギン(ミニペンギン)を見たり、カンガルー肉のBBQをごちそうになったり。
笑って、飲んで、喧嘩もしながら日本の22倍の国土を移動しました。
古いキングスウッドは長い旅の途中、何度か故障しました。
赤土の地平線の見える一本道の真ん中で突然ストップ。
私一人だったらどうなっていたことか。
ラジエーターの故障の時は村の解体屋にウイスキー1本でOKをもらい、廃車の中から使えそうな部品を外して使いました。
ブレーキが効かなくなったり、エンジンが止まったり、何もない道の真ん中ではどうする事もできません。隣の町までは何キロもあります。困っている人の車を助けた事も何度かありました。
修理工の彼で良かった。ステキすぎる。
西海岸の小さな町。夕日のきれいなレストランで映画のような片膝をついてのプロポーズを受けました。
選んだ答えは、まさかの「日本に帰って整備士になる!」
実際のところ彼は日本に興味なし、日本語もわからない。私も自分のやりたい事が山積み、英語より日本語で整備士の勉強した方がよさそう。
遠距離恋愛の末、警察のお世話なるほどの大喧嘩もあったけど、今では笑えます。
やっぱり、整備士免許取っててよかった。
24歳、女、車修理の経験なしでしたが、運よく車屋の仕事に就く事ができました。
年下の男の子に混ざっての研修、要らないって言われないように頑張りました。
塗装部門に配属され以来20年塗装をしてきました。
仲間にも恵まれ、休日出勤も残業も作業自体が楽しくて、工場にいるのが1番好きでした。
懲りずに整備士に恋をし(現在もまたですが)大失恋で鬱になって。
人生の大事なものって何?
やりたかった事って塗装だけ?工場と結婚する事は出来ないし。
もっと生きてる感覚が欲しい。あんなに私にぴったりなのはオーストラリアだけなの?
他の国も見てみたいと思い、とうとう仕事を辞めて出国してしまいました。
雑誌で見た「ネパール」へ。旅行の雑誌の特別特集でした。タイトルは「弱肉強食のただなかで眠る本物の野生に出会う旅チトワン国立公園」
いつかは行ってみたなと思っていた場所です。
美しく厳しいヒマラヤ、鮮やかな民族衣装の山の村の人たち、町の中の香辛料の香り、神々を祭る寺院、生きた女神、生け贄の儀式。
この感じ。鼻からスーッと空気が入って肺の中がいっぱいになって頭の中がシャキっとして毛穴が全部ひらいて血管の中を血がぶわっと動く感じ。
そこからは数日でも行けないより良いと考えるようになり、チャンスを見つけては旅行するようになりました。
神々の住む島バリ、家族旅行で1回。ヒルトン泊。
オーストラリアからビザの延長手続きの為1人で内乱の中滞在。2回目。
カナダ、花の街バンクーバー、ビクトリア大学サマースクール参加、女子寮滞在。
アメリカ、夢のL.Aハリウッド、ワシントンD.C ホワイトハウス、FBI本部、アーリントン墓地など観光。
カナダ、憧れのウイスラーでスキー。
アメリカ、デンバーの動物保護施設RSPCAで動物保護の勉強会。
初めてのフィリピン。知人宅滞在。
山崎朋子氏の著書「サンダカン8番娼館」を読んだら行ってしまった、ボルネオ島のサンダカン。
もう1度フィリピン、貧困問題についてのスタディーツアー。
姪のレスリング国際大会の応援を兼ねてブルガリアでヨーグルトを食す。
となりのルーマニアでドラキュラ伝説の城を見学。
スウェーデンの試合の為、デンマークから列車とフェリーでフィヨルド体験。
帰りに古都パリでフランスパンをかじる。
結局フィリピンで暮らしたくなって、またまたフィリピンに戻る。
1ヶ月間フィリピン人の一般家庭に滞在し、彼らの文化に触れる機会がありました。
彼らのホスピタリティ精神、コミュニケーション能力は高く、大人も子供も自分が大好きで、自信があります。
気持ちを表現しない、自信がなく躊躇して行動出来ない自分に気づかされます。
今でも休みが取れると訪ねていき、色々な事を教えてもらっています。
日常から解放され、気持ちを切り替える事が出来ると、忘れていた大切な事を思いだせたり、もっと仕事を頑張れたり、日々の小さな幸せに気が付いたり、不安や迷いも吹き飛び、とにかく元気が出ます。
短期の休みで旅行を満喫出来て、帰ったら「さあ頑張るか!」と思える旅。
10ヶ国以上旅をし、出会ったのが「フィリピン」です。
恵まれない環境に置かれても、透き通った目で生きている子供達
特別の旅行でなく、気軽にリフレッシュできるので是非旅を満喫して元気になってもらいたい。
海外が不安な方も安心して海外に出られるようにサポートしたい。
旅で心のフル充電して、充実した日常を送ってもらえればと思います。
子供のころから知らない所へ出かけるのが大好きで、幼稚園を出るころにはすでにたくさんの冒険に出かけていました。
同じ町内の山本さん宅の犬小屋滞在に始まり、建材屋さんの砂利の登山、基礎工事中の建築現場の探検、大人達が見守っていてくれていたのだと思います。
学生時代はガンズやモトリーなど洋楽のハードロックやグランジミュージックにどっぷり浸かり、頭の中はいつもアメリカL.Aでいっぱいでした。
音楽雑誌「BURRN!」や「MUSIC LIFE」の切り抜きを下敷きに挟み、
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そのおかげで??英米語科を卒業、夢の海外生活に飛び出しました。
オーストラリアのワーキングホリデービザを取得し、目につくもの手当たり次第にトライして2年半、元気いっぱいに過ごしました。友達もたくさん出来ました。
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住み込みのベビーシッターや動物保護のボランティア、海外ドラマでよく見るシェアハウス、週末はお決まりのBBQ。ビーチや川でキャンプ。たくさんの経験をしました。
真っ黒に日焼けし、現地原住民のアボリジニをもじって「ジャボリジニ」とあだ名がついたころ、運命の出会いが。
ケアンズやゴールドコーストと同じクイーンズランド州の小さな町タリー。
バナナ工場で傷んだバナナと出荷できるバナナを分ける選定「ピッキング」のアルバイトをしていました。
当時住んでいたシェアハウスの隣にイタリア移民のジョニーの経営する、町で一つの自動車修理工場がありました。そこで住み込みで働く少し年上のポール。時々食事をするようになり、数カ月後、私たちはオーストラリア一周の旅に出ます。
古いホールデン(オーストラリアの車メーカー)、キングスウッドという車で
砂漠地帯を抜け、4万年以上前のアボリジニの痕跡や壁画の残されている世界遺産の国立公園、地面に落ちる何本もの稲妻の中を車で祈りながら通過したり、オーストラリア固有種であるフェアリーペンギン(ミニペンギン)を見たり、カンガルー肉のBBQをごちそうになったり。
笑って、飲んで、喧嘩もしながら日本の22倍の国土を移動しました。
古いキングスウッドは長い旅の途中、何度か故障しました。
赤土の地平線の見える一本道の真ん中で突然ストップ。
私一人だったらどうなっていたことか。
ラジエーターの故障の時は村の解体屋にウイスキー1本でOKをもらい、廃車の中から使えそうな部品を外して使いました。
ブレーキが効かなくなったり、エンジンが止まったり、何もない道の真ん中ではどうする事もできません。隣の町までは何キロもあります。困っている人の車を助けた事も何度かありました。
修理工の彼で良かった。ステキすぎる。
西海岸の小さな町。夕日のきれいなレストランで映画のような片膝をついてのプロポーズを受けました。
選んだ答えは、まさかの「日本に帰って整備士になる!」
実際のところ彼は日本に興味なし、日本語もわからない。私も自分のやりたい事が山積み、英語より日本語で整備士の勉強した方がよさそう。
遠距離恋愛の末、警察のお世話なるほどの大喧嘩もあったけど、今では笑えます。
やっぱり、整備士免許取っててよかった。
24歳、女、車修理の経験なしでしたが、運よく車屋の仕事に就く事ができました。
年下の男の子に混ざっての研修、要らないって言われないように頑張りました。
塗装部門に配属され以来20年塗装をしてきました。
仲間にも恵まれ、休日出勤も残業も作業自体が楽しくて、工場にいるのが1番好きでした。
懲りずに整備士に恋をし(現在もまたですが)大失恋で鬱になって。
人生の大事なものって何?
やりたかった事って塗装だけ?工場と結婚する事は出来ないし。
もっと生きてる感覚が欲しい。あんなに私にぴったりなのはオーストラリアだけなの?
他の国も見てみたいと思い、とうとう仕事を辞めて出国してしまいました。
雑誌で見た「ネパール」へ。旅行の雑誌の特別特集でした。タイトルは「弱肉強食のただなかで眠る本物の野生に出会う旅チトワン国立公園」
いつかは行ってみたなと思っていた場所です。
美しく厳しいヒマラヤ、鮮やかな民族衣装の山の村の人たち、町の中の香辛料の香り、神々を祭る寺院、生きた女神、生け贄の儀式。
この感じ。鼻からスーッと空気が入って肺の中がいっぱいになって頭の中がシャキっとして毛穴が全部ひらいて血管の中を血がぶわっと動く感じ。
そこからは数日でも行けないより良いと考えるようになり、チャンスを見つけては旅行するようになりました。
神々の住む島バリ、家族旅行で1回。ヒルトン泊。
オーストラリアからビザの延長手続きの為1人で内乱の中滞在。2回目。
カナダ、花の街バンクーバー、ビクトリア大学サマースクール参加、女子寮滞在。
アメリカ、夢のL.Aハリウッド、ワシントンD.C ホワイトハウス、FBI本部、アーリントン墓地など観光。
カナダ、憧れのウイスラーでスキー。
アメリカ、デンバーの動物保護施設RSPCAで動物保護の勉強会。
初めてのフィリピン。知人宅滞在。
山崎朋子氏の著書「サンダカン8番娼館」を読んだら行ってしまった、ボルネオ島のサンダカン。
もう1度フィリピン、貧困問題についてのスタディーツアー。
姪のレスリング国際大会の応援を兼ねてブルガリアでヨーグルトを食す。
となりのルーマニアでドラキュラ伝説の城を見学。
スウェーデンの試合の為、デンマークから列車とフェリーでフィヨルド体験。
帰りに古都パリでフランスパンをかじる。
結局フィリピンで暮らしたくなって、またまたフィリピンに戻る。
1ヶ月間フィリピン人の一般家庭に滞在し、彼らの文化に触れる機会がありました。
彼らのホスピタリティ精神、コミュニケーション能力は高く、大人も子供も自分が大好きで、自信があります。
気持ちを表現しない、自信がなく躊躇して行動出来ない自分に気づかされます。
今でも休みが取れると訪ねていき、色々な事を教えてもらっています。
日常から解放され、気持ちを切り替える事が出来ると、忘れていた大切な事を思いだせたり、もっと仕事を頑張れたり、日々の小さな幸せに気が付いたり、不安や迷いも吹き飛び、とにかく元気が出ます。
短期の休みで旅行を満喫出来て、帰ったら「さあ頑張るか!」と思える旅。
10ヶ国以上旅をし、出会ったのが「フィリピン」です。
恵まれない環境に置かれても、透き通った目で生きている子供達
特別の旅行でなく、気軽にリフレッシュできるので是非旅を満喫して元気になってもらいたい。
海外が不安な方も安心して海外に出られるようにサポートしたい。
旅で心のフル充電して、充実した日常を送ってもらえればと思います。
小さい時
知らない所へ出かけるのが大好きで、幼稚園を出るころにはすでにたくさんの冒険に出かけていました。
同じ町内の山本さん宅の犬小屋滞在に始まり、建材屋さんの砂利の登山、基礎工事中の建築現場の探検、大人達が見守っていてくれていたのだと思います。
ありがとうございました。
学生時代
ガンズやモトリーなど洋楽のハードロック、フーファイターズなどのグランジミュージックにどっぷり浸かり、頭の中はいつもアメリカL.Aでいっぱいでした。
音楽雑誌「BURRN!」や「MUSIC LIFE」の切り抜きを下敷きに挟み、
すきなバンドの出ている番組をチェックしてはミュージックTVを録画し何度も何度も繰り返し見ていました。
そのおかげで??英米語科を卒業、夢の海外生活に飛び出しました。
full満足の海外生活で決意した【整備士】
オーストラリアのワーキングホリデービザを取得し、目につくもの手当たり次第にトライして2年半、元気いっぱいに過ごしました。友達もたくさん出来ました。
住むところもお金もないさすらいの私を泊めてくれたり、息子に(なんで?)そっくりと言って毎晩ご飯をわけてくれたり、バナナ工場で欠員が出た時拾ってもらえる裏技を教えてくれたり、たくさんの人が助けてくれました。
住み込みのベビーシッターや動物保護のボランティア、海外ドラマでよく見るシェアハウス、週末はお決まりのBBQ。ビーチや川でキャンプ。たくさんの経験をしました。
真っ黒に日焼けし、現地原住民のアボリジニをもじって「ジャボリジニ」とあだ名がついたころ、運命の出会いが。
ケアンズやゴールドコーストと同じクイーンズランド州の小さな町タリー。
バナナ工場で傷んだバナナと出荷できるバナナを分ける選定「ピッキング」のアルバイトをしていました。
当時住んでいたシェアハウスの隣にイタリア移民のジョニーの経営する、町で一つの自動車修理工場がありました。
そこで住み込みで働く少し年上のポール。時々食事をするようになり、数カ月後、私たちはオーストラリア一周の旅に出ます。
古いホールデン(オーストラリアの車メーカー)、キングスウッドという車で
砂漠地帯を抜け、4万年以上前のアボリジニの痕跡や壁画の残されている世界遺産の国立公園、地面に落ちる何本もの稲妻の中を車で祈りながら通過したり、オーストラリア固有種であるフェアリーペンギン(ミニペンギン)を見たり、カンガルー肉のBBQをごちそうになったり。
笑って、飲んで、喧嘩もしながら日本の22倍の国土を移動しました。
古いキングスウッドは長い旅の途中、何度か故障しました。
赤土の地平線の見える一本道の真ん中で突然ストップ。
私一人だったらどうなっていたことか。
ラジエーターの故障の時は村の解体屋にウイスキー1本でOKをもらい、廃車の中から使えそうな部品を外して使いました。
ブレーキが効かなくなったり、エンジンが止まったり、何もない道の真ん中ではどうする事もできません。隣の町までは何キロもあります。困っている人の車を助けた事も何度かありました。
修理工の彼で良かった。ステキすぎる。
西海岸の小さな町。夕日のきれいなレストランで映画のような片膝をついてのプロポーズを受けました。
選んだ答えは、まさかの「日本に帰って整備士になる!」
実際のところ彼は日本に興味なし、日本語もわからない。私も自分のやりたい事が山積み、英語より日本語で整備士の勉強した方がよさそう。
遠距離恋愛の末、警察のお世話なるほどの大喧嘩もあったけど、今では笑えます。
やっぱり、整備士免許取っててよかった。
日本の自動車修理工場で働く
24歳、女、車修理の経験なしでしたが、運よく車屋の仕事に就く事ができました。
年下の男の子に混ざっての研修、要らないって言われないように頑張りました。
塗装部門に配属され以来20年塗装をしてきました。
仲間にも恵まれ、休日出勤も残業も作業自体が楽しくて、工場にいるのが1番好きでした。
懲りずに整備士に恋をし(現在もまたですが)大失恋で鬱になって。
人生の大事なものって何?
やりたかった事って塗装だけ?工場と結婚する事は出来ないし。
もっと生きてる感覚が欲しい。あんなに私にぴったりなのはオーストラリアだけなの?
他の国も見てみたいと思い、とうとう仕事を辞めて出国してしまいました。
国外放浪生活の始まり
雑誌で見た「ネパール」へ。旅行の雑誌の特別特集でした。タイトルは「弱肉強食のただなかで眠る本物の野生に出会う旅チトワン国立公園」
いつかは行ってみたなと思っていた場所です。
美しく厳しいヒマラヤ、鮮やかな民族衣装の山の村の人たち、町の中の香辛料の香り、神々を祭る寺院、生きた女神、生け贄の儀式。
この感じ。鼻からスーッと空気が入って肺の中がいっぱいになって頭の中がシャキっとして毛穴が全部ひらいて血管の中を血がぶわっと動く感じ。
そこからは数日でも行けないより良いと考えるようになり、チャンスを見つけては旅行するようになりました。
神々の住む島バリ、家族旅行で1回。ヒルトン泊。
オーストラリアからビザの延長手続きの為1人で内乱の中滞在。2回目。
カナダ、花の街バンクーバー、ビクトリア大学サマースクール参加、女子寮滞在。
アメリカ、夢のL.Aハリウッド、ワシントンD.C ホワイトハウス、FBI本部、アーリントン墓地など観光。
カナダ、憧れのウイスラーでスキー。
アメリカ、デンバーの動物保護施設RSPCAで動物保護の勉強会。
初めてのフィリピン。知人宅滞在。
山崎朋子氏の著書「サンダカン8番娼館」を読んだら行ってしまった、ボルネオ島のサンダカン。
もう1度フィリピン、貧困問題についてのスタディーツアー。
姪のレスリング国際大会の応援を兼ねてブルガリアでヨーグルトを食す。
となりのルーマニアでドラキュラ伝説の城を見学。
スウェーデンの試合の為、デンマークから列車とフェリーでフィヨルド体験。
帰りに古都パリでフランスパンをかじる。
結局フィリピンで暮らしたくなって、またまたフィリピンに戻る。
やっぱりフィリピン
1ヶ月間フィリピン人の一般家庭に滞在し、彼らの文化に触れる機会がありました。
彼らのホスピタリティ精神、コミュニケーション能力は高く、大人も子供も自分が大好きで、自信があります。
気持ちを表現しない、自信がなく躊躇して行動出来ない自分に気づかされます。
今でも休みが取れると訪ねていき、色々な事を教えてもらっています。
放浪を続ける理由
日常から解放され、気持ちを切り替える事が出来ると、忘れていた大切な事を思いだせたり、もっと仕事を頑張れたり、日々の小さな幸せに気が付いたり、不安や迷いも吹き飛び、とにかく元気が出ます。
短期の休みでも旅行を満喫出来て、帰ったら「さあ頑張るか!」と思える旅。
10ヶ国以上旅をし、出会ったのが「フィリピン」です。
特別の旅行でなく、気軽にリフレッシュできるので是非旅を満喫して元気になってもらいたい。
旅で心のフル充電して、充実した毎日を送れるといいなと思います。
子供のころから知らない所へ出かけるのが大好きで、幼稚園を出るころにはすでにたくさんの冒険に出かけていました。
同じ町内の山本さん宅の犬小屋滞在に始まり、建材屋さんの砂利の登山、基礎工事中の建築現場の探検、大人達が見守っていてくれていたのだと思います。
学生時代はガンズやモトリーなど洋楽のハードロックやグランジミュージックにどっぷり浸かり、頭の中はいつもアメリカL.Aでいっぱいでした。
音楽雑誌「BURRN!」や「MUSIC LIFE」の切り抜きを下敷きに挟み、
すきなバンドの出ている番組をチェックしてはミュージックTVを録画し何度も繰り返し見ていました。
そのおかげで??英米語科を卒業、夢の海外生活に飛び出しました。
オーストラリアのワーキングホリデービザを取得し、目につくもの手当たり次第にトライして2年半、元気いっぱいに過ごしました。友達もたくさん出来ました。
住むところもお金もないさすらいの私を泊めてくれたり、息子に(なんで?)そっくりと言って毎晩ご飯をわけてくれたり、バナナ工場で欠員が出た時拾ってもらえる裏技を教えてくれたり、たくさんの人が助けてくれました。
住み込みのベビーシッターや動物保護のボランティア、海外ドラマでよく見るシェアハウス、週末はお決まりのBBQ。ビーチや川でキャンプ。たくさんの経験をしました。
真っ黒に日焼けし、現地原住民のアボリジニをもじって「ジャボリジニ」とあだ名がついたころ、運命の出会いが。
ケアンズやゴールドコーストと同じクイーンズランド州の小さな町タリー。
バナナ工場で傷んだバナナと出荷できるバナナを分ける選定「ピッキング」のアルバイトをしていました。
当時住んでいたシェアハウスの隣にイタリア移民のジョニーの経営する、町で一つの自動車修理工場がありました。そこで住み込みで働く少し年上のポール。時々食事をするようになり、数カ月後、私たちはオーストラリア一周の旅に出ます。
古いホールデン(オーストラリアの車メーカー)、キングスウッドという車で
砂漠地帯を抜け、4万年以上前のアボリジニの痕跡や壁画の残されている世界遺産の国立公園、地面に落ちる何本もの稲妻の中を車で祈りながら通過したり、オーストラリア固有種であるフェアリーペンギン(ミニペンギン)を見たり、カンガルー肉のBBQをごちそうになったり。
笑って、飲んで、喧嘩もしながら日本の22倍の国土を移動しました。
古いキングスウッドは長い旅の途中、何度か故障しました。
赤土の地平線の見える一本道の真ん中で突然ストップ。
私一人だったらどうなっていたことか。
ラジエーターの故障の時は村の解体屋にウイスキー1本でOKをもらい、廃車の中から使えそうな部品を外して使いました。
ブレーキが効かなくなったり、エンジンが止まったり、何もない道の真ん中ではどうする事もできません。隣の町までは何キロもあります。困っている人の車を助けた事も何度かありました。
修理工の彼で良かった。ステキすぎる。
西海岸の小さな町。夕日のきれいなレストランで映画のような片膝をついてのプロポーズを受けました。
選んだ答えは、まさかの「日本に帰って整備士になる!」
実際のところ彼は日本に興味なし、日本語もわからない。私も自分のやりたい事が山積み、英語より日本語で整備士の勉強した方がよさそう。
遠距離恋愛の末、警察のお世話なるほどの大喧嘩もあったけど、今では笑えます。
やっぱり、整備士免許取っててよかった。
24歳、女、車修理の経験なしでしたが、運よく車屋の仕事に就く事ができました。
年下の男の子に混ざっての研修、要らないって言われないように頑張りました。
塗装部門に配属され以来20年塗装をしてきました。
仲間にも恵まれ、休日出勤も残業も作業自体が楽しくて、工場にいるのが1番好きでした。
懲りずに整備士に恋をし(現在もまたですが)大失恋で鬱になって。
人生の大事なものって何?
やりたかった事って塗装だけ?工場と結婚する事は出来ないし。
もっと生きてる感覚が欲しい。あんなに私にぴったりなのはオーストラリアだけなの?
他の国も見てみたいと思い、とうとう仕事を辞めて出国してしまいました。
雑誌で見た「ネパール」へ。旅行の雑誌の特別特集でした。タイトルは「弱肉強食のただなかで眠る本物の野生に出会う旅チトワン国立公園」
いつかは行ってみたなと思っていた場所です。
美しく厳しいヒマラヤ、鮮やかな民族衣装の山の村の人たち、町の中の香辛料の香り、神々を祭る寺院、生きた女神、生け贄の儀式。
この感じ。鼻からスーッと空気が入って肺の中がいっぱいになって頭の中がシャキっとして毛穴が全部ひらいて血管の中を血がぶわっと動く感じ。
そこからは数日でも行けないより良いと考えるようになり、チャンスを見つけては旅行するようになりました。
神々の住む島バリ、家族旅行で1回。ヒルトン泊。
オーストラリアからビザの延長手続きの為1人で内乱の中滞在。2回目。
カナダ、花の街バンクーバー、ビクトリア大学サマースクール参加、女子寮滞在。
アメリカ、夢のL.Aハリウッド、ワシントンD.C ホワイトハウス、FBI本部、アーリントン墓地など観光。
カナダ、憧れのウイスラーでスキー。
アメリカ、デンバーの動物保護施設RSPCAで動物保護の勉強会。
初めてのフィリピン。知人宅滞在。
山崎朋子氏の著書「サンダカン8番娼館」を読んだら行ってしまった、ボルネオ島のサンダカン。
もう1度フィリピン、貧困問題についてのスタディーツアー。
姪のレスリング国際大会の応援を兼ねてブルガリアでヨーグルトを食す。
となりのルーマニアでドラキュラ伝説の城を見学。
スウェーデンの試合の為、デンマークから列車とフェリーでフィヨルド体験。
帰りに古都パリでフランスパンをかじる。
結局フィリピンで暮らしたくなって、またまたフィリピンに戻る。
1ヶ月間フィリピン人の一般家庭に滞在し、彼らの文化に触れる機会がありました。
彼らのホスピタリティ精神、コミュニケーション能力は高く、大人も子供も自分が大好きで、自信があります。
気持ちを表現しない、自信がなく躊躇して行動出来ない自分に気づかされます。
今でも休みが取れると訪ねていき、色々な事を教えてもらっています。
日常から解放され、気持ちを切り替える事が出来ると、忘れていた大切な事を思いだせたり、もっと仕事を頑張れたり、日々の小さな幸せに気が付いたり、不安や迷いも吹き飛び、とにかく元気が出ます。
短期の休みで旅行を満喫出来て、帰ったら「さあ頑張るか!」と思える旅。
10ヶ国以上旅をし、出会ったのが「フィリピン」です。
恵まれない環境に置かれても、透き通った目で生きている子供達
特別の旅行でなく、気軽にリフレッシュできるので是非旅を満喫して元気になってもらいたい。
海外が不安な方も安心して海外に出られるようにサポートしたい。
旅で心のフル充電して、充実した日常を送ってもらえればと思います。
子供のころから知らない所へ出かけるのが大好きで、幼稚園を出るころにはすでにたくさんの冒険に出かけていました。
同じ町内の山本さん宅の犬小屋滞在に始まり、建材屋さんの砂利の登山、基礎工事中の建築現場の探検、大人達が見守っていてくれていたのだと思います。
学生時代はガンズやモトリーなど洋楽のハードロックやグランジミュージックにどっぷり浸かり、頭の中はいつもアメリカL.Aでいっぱいでした。
音楽雑誌「BURRN!」や「MUSIC LIFE」の切り抜きを下敷きに挟み、
すきなバンドの出ている番組をチェックしてはミュージックTVを録画し何度も繰り返し見ていました。
そのおかげで??英米語科を卒業、夢の海外生活に飛び出しました。
オーストラリアのワーキングホリデービザを取得し、目につくもの手当たり次第にトライして2年半、元気いっぱいに過ごしました。友達もたくさん出来ました。
住むところもお金もないさすらいの私を泊めてくれたり、息子に(なんで?)そっくりと言って毎晩ご飯をわけてくれたり、バナナ工場で欠員が出た時拾ってもらえる裏技を教えてくれたり、たくさんの人が助けてくれました。
住み込みのベビーシッターや動物保護のボランティア、海外ドラマでよく見るシェアハウス、週末はお決まりのBBQ。ビーチや川でキャンプ。たくさんの経験をしました。
真っ黒に日焼けし、現地原住民のアボリジニをもじって「ジャボリジニ」とあだ名がついたころ、運命の出会いが。
ケアンズやゴールドコーストと同じクイーンズランド州の小さな町タリー。
バナナ工場で傷んだバナナと出荷できるバナナを分ける選定「ピッキング」のアルバイトをしていました。
当時住んでいたシェアハウスの隣にイタリア移民のジョニーの経営する、町で一つの自動車修理工場がありました。そこで住み込みで働く少し年上のポール。時々食事をするようになり、数カ月後、私たちはオーストラリア一周の旅に出ます。
古いホールデン(オーストラリアの車メーカー)、キングスウッドという車で
砂漠地帯を抜け、4万年以上前のアボリジニの痕跡や壁画の残されている世界遺産の国立公園、地面に落ちる何本もの稲妻の中を車で祈りながら通過したり、オーストラリア固有種であるフェアリーペンギン(ミニペンギン)を見たり、カンガルー肉のBBQをごちそうになったり。
笑って、飲んで、喧嘩もしながら日本の22倍の国土を移動しました。
古いキングスウッドは長い旅の途中、何度か故障しました。
赤土の地平線の見える一本道の真ん中で突然ストップ。
私一人だったらどうなっていたことか。
ラジエーターの故障の時は村の解体屋にウイスキー1本でOKをもらい、廃車の中から使えそうな部品を外して使いました。
ブレーキが効かなくなったり、エンジンが止まったり、何もない道の真ん中ではどうする事もできません。隣の町までは何キロもあります。困っている人の車を助けた事も何度かありました。
修理工の彼で良かった。ステキすぎる。
西海岸の小さな町。夕日のきれいなレストランで映画のような片膝をついてのプロポーズを受けました。
選んだ答えは、まさかの「日本に帰って整備士になる!」
実際のところ彼は日本に興味なし、日本語もわからない。私も自分のやりたい事が山積み、英語より日本語で整備士の勉強した方がよさそう。
遠距離恋愛の末、警察のお世話なるほどの大喧嘩もあったけど、今では笑えます。
やっぱり、整備士免許取っててよかった。
24歳、女、車修理の経験なしでしたが、運よく車屋の仕事に就く事ができました。
年下の男の子に混ざっての研修、要らないって言われないように頑張りました。
塗装部門に配属され以来20年塗装をしてきました。
仲間にも恵まれ、休日出勤も残業も作業自体が楽しくて、工場にいるのが1番好きでした。
懲りずに整備士に恋をし(現在もまたですが)大失恋で鬱になって。
人生の大事なものって何?
やりたかった事って塗装だけ?工場と結婚する事は出来ないし。
もっと生きてる感覚が欲しい。あんなに私にぴったりなのはオーストラリアだけなの?
他の国も見てみたいと思い、とうとう仕事を辞めて出国してしまいました。
雑誌で見た「ネパール」へ。旅行の雑誌の特別特集でした。タイトルは「弱肉強食のただなかで眠る本物の野生に出会う旅チトワン国立公園」
いつかは行ってみたなと思っていた場所です。
美しく厳しいヒマラヤ、鮮やかな民族衣装の山の村の人たち、町の中の香辛料の香り、神々を祭る寺院、生きた女神、生け贄の儀式。
この感じ。鼻からスーッと空気が入って肺の中がいっぱいになって頭の中がシャキっとして毛穴が全部ひらいて血管の中を血がぶわっと動く感じ。
そこからは数日でも行けないより良いと考えるようになり、チャンスを見つけては旅行するようになりました。
神々の住む島バリ、家族旅行で1回。ヒルトン泊。
オーストラリアからビザの延長手続きの為1人で内乱の中滞在。2回目。
カナダ、花の街バンクーバー、ビクトリア大学サマースクール参加、女子寮滞在。
アメリカ、夢のL.Aハリウッド、ワシントンD.C ホワイトハウス、FBI本部、アーリントン墓地など観光。
カナダ、憧れのウイスラーでスキー。
アメリカ、デンバーの動物保護施設RSPCAで動物保護の勉強会。
初めてのフィリピン。知人宅滞在。
山崎朋子氏の著書「サンダカン8番娼館」を読んだら行ってしまった、ボルネオ島のサンダカン。
もう1度フィリピン、貧困問題についてのスタディーツアー。
姪のレスリング国際大会の応援を兼ねてブルガリアでヨーグルトを食す。
となりのルーマニアでドラキュラ伝説の城を見学。
スウェーデンの試合の為、デンマークから列車とフェリーでフィヨルド体験。
帰りに古都パリでフランスパンをかじる。
結局フィリピンで暮らしたくなって、またまたフィリピンに戻る。
1ヶ月間フィリピン人の一般家庭に滞在し、彼らの文化に触れる機会がありました。
彼らのホスピタリティ精神、コミュニケーション能力は高く、大人も子供も自分が大好きで、自信があります。
気持ちを表現しない、自信がなく躊躇して行動出来ない自分に気づかされます。
今でも休みが取れると訪ねていき、色々な事を教えてもらっています。
日常から解放され、気持ちを切り替える事が出来ると、忘れていた大切な事を思いだせたり、もっと仕事を頑張れたり、日々の小さな幸せに気が付いたり、不安や迷いも吹き飛び、とにかく元気が出ます。
短期の休みで旅行を満喫出来て、帰ったら「さあ頑張るか!」と思える旅。
10ヶ国以上旅をし、出会ったのが「フィリピン」です。
恵まれない環境に置かれても、透き通った目で生きている子供達
特別の旅行でなく、気軽にリフレッシュできるので是非旅を満喫して元気になってもらいたい。
海外が不安な方も安心して海外に出られるようにサポートしたい。
旅で心のフル充電して、充実した日常を送ってもらえればと思います。
子供のころから知らない所へ出かけるのが大好きで、幼稚園を出るころにはすでにたくさんの冒険に出かけていました。
同じ町内の山本さん宅の犬小屋滞在に始まり、建材屋さんの砂利の登山、基礎工事中の建築現場の探検、大人達が見守っていてくれていたのだと思います。
学生時代はガンズやモトリーなど洋楽のハードロックやグランジミュージックにどっぷり浸かり、頭の中はいつもアメリカL.Aでいっぱいでした。
音楽雑誌「BURRN!」や「MUSIC LIFE」の切り抜きを下敷きに挟み、
すきなバンドの出ている番組をチェックしてはミュージックTVを録画し何度も繰り返し見ていました。
そのおかげで??英米語科を卒業、夢の海外生活に飛び出しました。
オーストラリアのワーキングホリデービザを取得し、目につくもの手当たり次第にトライして2年半、元気いっぱいに過ごしました。友達もたくさん出来ました。
住むところもお金もないさすらいの私を泊めてくれたり、息子に(なんで?)そっくりと言って毎晩ご飯をわけてくれたり、バナナ工場で欠員が出た時拾ってもらえる裏技を教えてくれたり、たくさんの人が助けてくれました。
住み込みのベビーシッターや動物保護のボランティア、海外ドラマでよく見るシェアハウス、週末はお決まりのBBQ。ビーチや川でキャンプ。たくさんの経験をしました。
真っ黒に日焼けし、現地原住民のアボリジニをもじって「ジャボリジニ」とあだ名がついたころ、運命の出会いが。
ケアンズやゴールドコーストと同じクイーンズランド州の小さな町タリー。
バナナ工場で傷んだバナナと出荷できるバナナを分ける選定「ピッキング」のアルバイトをしていました。
当時住んでいたシェアハウスの隣にイタリア移民のジョニーの経営する、町で一つの自動車修理工場がありました。そこで住み込みで働く少し年上のポール。時々食事をするようになり、数カ月後、私たちはオーストラリア一周の旅に出ます。
古いホールデン(オーストラリアの車メーカー)、キングスウッドという車で
砂漠地帯を抜け、4万年以上前のアボリジニの痕跡や壁画の残されている世界遺産の国立公園、地面に落ちる何本もの稲妻の中を車で祈りながら通過したり、オーストラリア固有種であるフェアリーペンギン(ミニペンギン)を見たり、カンガルー肉のBBQをごちそうになったり。
笑って、飲んで、喧嘩もしながら日本の22倍の国土を移動しました。
古いキングスウッドは長い旅の途中、何度か故障しました。
赤土の地平線の見える一本道の真ん中で突然ストップ。
私一人だったらどうなっていたことか。
ラジエーターの故障の時は村の解体屋にウイスキー1本でOKをもらい、廃車の中から使えそうな部品を外して使いました。
ブレーキが効かなくなったり、エンジンが止まったり、何もない道の真ん中ではどうする事もできません。隣の町までは何キロもあります。困っている人の車を助けた事も何度かありました。
修理工の彼で良かった。ステキすぎる。
西海岸の小さな町。夕日のきれいなレストランで映画のような片膝をついてのプロポーズを受けました。
選んだ答えは、まさかの「日本に帰って整備士になる!」
実際のところ彼は日本に興味なし、日本語もわからない。私も自分のやりたい事が山積み、英語より日本語で整備士の勉強した方がよさそう。
遠距離恋愛の末、警察のお世話なるほどの大喧嘩もあったけど、今では笑えます。
やっぱり、整備士免許取っててよかった。
24歳、女、車修理の経験なしでしたが、運よく車屋の仕事に就く事ができました。
年下の男の子に混ざっての研修、要らないって言われないように頑張りました。
塗装部門に配属され以来20年塗装をしてきました。
仲間にも恵まれ、休日出勤も残業も作業自体が楽しくて、工場にいるのが1番好きでした。
懲りずに整備士に恋をし(現在もまたですが)大失恋で鬱になって。
人生の大事なものって何?
やりたかった事って塗装だけ?工場と結婚する事は出来ないし。
もっと生きてる感覚が欲しい。あんなに私にぴったりなのはオーストラリアだけなの?
他の国も見てみたいと思い、とうとう仕事を辞めて出国してしまいました。
雑誌で見た「ネパール」へ。旅行の雑誌の特別特集でした。タイトルは「弱肉強食のただなかで眠る本物の野生に出会う旅チトワン国立公園」
いつかは行ってみたなと思っていた場所です。
美しく厳しいヒマラヤ、鮮やかな民族衣装の山の村の人たち、町の中の香辛料の香り、神々を祭る寺院、生きた女神、生け贄の儀式。
この感じ。鼻からスーッと空気が入って肺の中がいっぱいになって頭の中がシャキっとして毛穴が全部ひらいて血管の中を血がぶわっと動く感じ。
そこからは数日でも行けないより良いと考えるようになり、チャンスを見つけては旅行するようになりました。
神々の住む島バリ、家族旅行で1回。ヒルトン泊。
オーストラリアからビザの延長手続きの為1人で内乱の中滞在。2回目。
カナダ、花の街バンクーバー、ビクトリア大学サマースクール参加、女子寮滞在。
アメリカ、夢のL.Aハリウッド、ワシントンD.C ホワイトハウス、FBI本部、アーリントン墓地など観光。
カナダ、憧れのウイスラーでスキー。
アメリカ、デンバーの動物保護施設RSPCAで動物保護の勉強会。
初めてのフィリピン。知人宅滞在。
山崎朋子氏の著書「サンダカン8番娼館」を読んだら行ってしまった、ボルネオ島のサンダカン。
もう1度フィリピン、貧困問題についてのスタディーツアー。
姪のレスリング国際大会の応援を兼ねてブルガリアでヨーグルトを食す。
となりのルーマニアでドラキュラ伝説の城を見学。
スウェーデンの試合の為、デンマークから列車とフェリーでフィヨルド体験。
帰りに古都パリでフランスパンをかじる。
結局フィリピンで暮らしたくなって、またまたフィリピンに戻る。
1ヶ月間フィリピン人の一般家庭に滞在し、彼らの文化に触れる機会がありました。
彼らのホスピタリティ精神、コミュニケーション能力は高く、大人も子供も自分が大好きで、自信があります。
気持ちを表現しない、自信がなく躊躇して行動出来ない自分に気づかされます。
今でも休みが取れると訪ねていき、色々な事を教えてもらっています。
日常から解放され、気持ちを切り替える事が出来ると、忘れていた大切な事を思いだせたり、もっと仕事を頑張れたり、日々の小さな幸せに気が付いたり、不安や迷いも吹き飛び、とにかく元気が出ます。
短期の休みで旅行を満喫出来て、帰ったら「さあ頑張るか!」と思える旅。
10ヶ国以上旅をし、出会ったのが「フィリピン」です。
恵まれない環境に置かれても、透き通った目で生きている子供達
特別の旅行でなく、気軽にリフレッシュできるので是非旅を満喫して元気になってもらいたい。
海外が不安な方も安心して海外に出られるようにサポートしたい。
旅で心のフル充電して、充実した日常を送ってもらえればと思います。
子供のころから知らない所へ出かけるのが大好きで、幼稚園を出るころにはすでにたくさんの冒険に出かけていました。
同じ町内の山本さん宅の犬小屋滞在に始まり、建材屋さんの砂利の登山、基礎工事中の建築現場の探検、大人達が見守っていてくれていたのだと思います。
学生時代はガンズやモトリーなど洋楽のハードロックやグランジミュージックにどっぷり浸かり、頭の中はいつもアメリカL.Aでいっぱいでした。
音楽雑誌「BURRN!」や「MUSIC LIFE」の切り抜きを下敷きに挟み、
すきなバンドの出ている番組をチェックしてはミュージックTVを録画し何度も繰り返し見ていました。
そのおかげで??英米語科を卒業、夢の海外生活に飛び出しました。
オーストラリアのワーキングホリデービザを取得し、目につくもの手当たり次第にトライして2年半、元気いっぱいに過ごしました。友達もたくさん出来ました。
住むところもお金もないさすらいの私を泊めてくれたり、息子に(なんで?)そっくりと言って毎晩ご飯をわけてくれたり、バナナ工場で欠員が出た時拾ってもらえる裏技を教えてくれたり、たくさんの人が助けてくれました。
住み込みのベビーシッターや動物保護のボランティア、海外ドラマでよく見るシェアハウス、週末はお決まりのBBQ。ビーチや川でキャンプ。たくさんの経験をしました。
真っ黒に日焼けし、現地原住民のアボリジニをもじって「ジャボリジニ」とあだ名がついたころ、運命の出会いが。
ケアンズやゴールドコーストと同じクイーンズランド州の小さな町タリー。
バナナ工場で傷んだバナナと出荷できるバナナを分ける選定「ピッキング」のアルバイトをしていました。
当時住んでいたシェアハウスの隣にイタリア移民のジョニーの経営する、町で一つの自動車修理工場がありました。そこで住み込みで働く少し年上のポール。時々食事をするようになり、数カ月後、私たちはオーストラリア一周の旅に出ます。
古いホールデン(オーストラリアの車メーカー)、キングスウッドという車で
砂漠地帯を抜け、4万年以上前のアボリジニの痕跡や壁画の残されている世界遺産の国立公園、地面に落ちる何本もの稲妻の中を車で祈りながら通過したり、オーストラリア固有種であるフェアリーペンギン(ミニペンギン)を見たり、カンガルー肉のBBQをごちそうになったり。
笑って、飲んで、喧嘩もしながら日本の22倍の国土を移動しました。
古いキングスウッドは長い旅の途中、何度か故障しました。
赤土の地平線の見える一本道の真ん中で突然ストップ。
私一人だったらどうなっていたことか。
ラジエーターの故障の時は村の解体屋にウイスキー1本でOKをもらい、廃車の中から使えそうな部品を外して使いました。
ブレーキが効かなくなったり、エンジンが止まったり、何もない道の真ん中ではどうする事もできません。隣の町までは何キロもあります。困っている人の車を助けた事も何度かありました。
修理工の彼で良かった。ステキすぎる。
西海岸の小さな町。夕日のきれいなレストランで映画のような片膝をついてのプロポーズを受けました。
選んだ答えは、まさかの「日本に帰って整備士になる!」
実際のところ彼は日本に興味なし、日本語もわからない。私も自分のやりたい事が山積み、英語より日本語で整備士の勉強した方がよさそう。
遠距離恋愛の末、警察のお世話なるほどの大喧嘩もあったけど、今では笑えます。
やっぱり、整備士免許取っててよかった。
24歳、女、車修理の経験なしでしたが、運よく車屋の仕事に就く事ができました。
年下の男の子に混ざっての研修、要らないって言われないように頑張りました。
塗装部門に配属され以来20年塗装をしてきました。
仲間にも恵まれ、休日出勤も残業も作業自体が楽しくて、工場にいるのが1番好きでした。
懲りずに整備士に恋をし(現在もまたですが)大失恋で鬱になって。
人生の大事なものって何?
やりたかった事って塗装だけ?工場と結婚する事は出来ないし。
もっと生きてる感覚が欲しい。あんなに私にぴったりなのはオーストラリアだけなの?
他の国も見てみたいと思い、とうとう仕事を辞めて出国してしまいました。
雑誌で見た「ネパール」へ。旅行の雑誌の特別特集でした。タイトルは「弱肉強食のただなかで眠る本物の野生に出会う旅チトワン国立公園」
いつかは行ってみたなと思っていた場所です。
美しく厳しいヒマラヤ、鮮やかな民族衣装の山の村の人たち、町の中の香辛料の香り、神々を祭る寺院、生きた女神、生け贄の儀式。
この感じ。鼻からスーッと空気が入って肺の中がいっぱいになって頭の中がシャキっとして毛穴が全部ひらいて血管の中を血がぶわっと動く感じ。
そこからは数日でも行けないより良いと考えるようになり、チャンスを見つけては旅行するようになりました。
神々の住む島バリ、家族旅行で1回。ヒルトン泊。
オーストラリアからビザの延長手続きの為1人で内乱の中滞在。2回目。
カナダ、花の街バンクーバー、ビクトリア大学サマースクール参加、女子寮滞在。
アメリカ、夢のL.Aハリウッド、ワシントンD.C ホワイトハウス、FBI本部、アーリントン墓地など観光。
カナダ、憧れのウイスラーでスキー。
アメリカ、デンバーの動物保護施設RSPCAで動物保護の勉強会。
初めてのフィリピン。知人宅滞在。
山崎朋子氏の著書「サンダカン8番娼館」を読んだら行ってしまった、ボルネオ島のサンダカン。
もう1度フィリピン、貧困問題についてのスタディーツアー。
姪のレスリング国際大会の応援を兼ねてブルガリアでヨーグルトを食す。
となりのルーマニアでドラキュラ伝説の城を見学。
スウェーデンの試合の為、デンマークから列車とフェリーでフィヨルド体験。
帰りに古都パリでフランスパンをかじる。
結局フィリピンで暮らしたくなって、またまたフィリピンに戻る。
1ヶ月間フィリピン人の一般家庭に滞在し、彼らの文化に触れる機会がありました。
彼らのホスピタリティ精神、コミュニケーション能力は高く、大人も子供も自分が大好きで、自信があります。
気持ちを表現しない、自信がなく躊躇して行動出来ない自分に気づかされます。
今でも休みが取れると訪ねていき、色々な事を教えてもらっています。
日常から解放され、気持ちを切り替える事が出来ると、忘れていた大切な事を思いだせたり、もっと仕事を頑張れたり、日々の小さな幸せに気が付いたり、不安や迷いも吹き飛び、とにかく元気が出ます。
短期の休みで旅行を満喫出来て、帰ったら「さあ頑張るか!」と思える旅。
10ヶ国以上旅をし、出会ったのが「フィリピン」です。
恵まれない環境に置かれても、透き通った目で生きている子供達
特別の旅行でなく、気軽にリフレッシュできるので是非旅を満喫して元気になってもらいたい。
海外が不安な方も安心して海外に出られるようにサポートしたい。
旅で心のフル充電して、充実した日常を送ってもらえればと思います。
キャニオニング
セブ島はダイビングで有名ですが、その他のアクティビティーもあります。
カワサンフォール
セブ島では人気の滝です。デイツアーに申し込めばピックアップからまかせっきりでらくちんです。ダイビングのできるモアルボアルの近くにありセブシティーから車で3時間かかります。
魅力は40メートルの落差とアクアブルーの色の美しさです。飛び込んだりしなくても、滝壺で泳ぐこともできます。
とても有名なので地元の人や観光客で賑わっています。
バスを降りると道路横に「滝こちら」の大きな看板があります。200ペソで滝までガイドしてくれると声をかけられます。道に迷う事はないと思いますがガイドをお願いすると荷物を持ってくれたり写真を撮ってくれたりします。5分程歩いた所で入場料45ペソが必要です。そこから徒歩20分程で滝に到着です。
滝の周りには売店があり食事ができます、ライフジャケットのレンタルや、店員が管理する100ペソの鍵付きのロッカーに荷物を預けることもできます。
カワサンには3つの滝があります。最初に到着するのが1番大きな滝で、飛び込みは禁止です。
そこから山道を10分程登ると第2の滝があります。こちらの方が比較的人も少ないですが、深いので気を付けましょう。
ここにはターザンロープがあって楽しめます。ライフジャケットを付けた子供達も楽しそうでした。
滝の上に飛び込みのスポットがあります。15メートル。飛び込まなくても景色だけは見たいので、ちょっとだけお邪魔しました。下から見ているよりも、上に立つともの凄く高さを感じます。飛び込みません!
同じ第2の滝に7メートルのジャンプ台もあります。半分ほどの高さですが、ご自身で確かめて下さい。
第3の滝はそこから更に30分程登り、源流まで行けます。歩くのはハードでしたが子供の頃滝はどこから始まっているのか気になって、よく滝や森の中を探検したのを思い出しました。
キャニオニング
現地カワサンでガイドを申し込む事もできます。近隣のホテルか申し込んだショップから送迎、ランチ込みで1500ペソ~2000ペソくらい。
滝の上までバイクに乗って行きます。途中から道路ではなくなり、小道になり、獣道みたいになります。10分ほど歩くと木々の間から鮮やかなアクアブルーが見えてきます。
天然の岩の滑り台をすべって、水温に慣れてから飛び込みます。最初から10メートル級。
ガイドの方が荷物を預かってくれたり、写真を撮ってくれたり、怖がっているとカウントダウンしてくれたりします。
川を滑って下り、ポイントで写真をとったりしながら第2の滝までに5か所くらい飛び込むポイントがありました。
ランチは山の下にあるきれいなレストランでフィリピン料理が出ました。テーブルセットもきれいで、フルーツやスープも付いていて量もたっぷりでした。
この後3時間かけてセブシティーに戻る事を考えるとツアーもありだと感じました。
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その他の滝
神秘の滝と言われるツマログフォール、カトゥムン渓谷の天然温泉イソイホットスプリングの隣にあるティヌブタンフォール、難易度でレベル分けされた6つの滝を登ったり飛び込んだり飛び込めなくても楽しいアギニットフォールもあります。
アクアブルーが1番きれいだったのはカワサンフォール。
カトゥムン渓谷は温泉だけでも十分森の自然と水の美しさを満喫できます。
キャニオニングするなら1番好きな滝はアギニットフォールです。特に泳ぎが得意でもないし、飛び込みは怖いけど登ったり流れたり遊べます。
セブシティーから離れているので、近くのダイビングスポットと合わせてツアーがあります。ウミガメ、ジンベイザメなど人気があります。
登山
オスメニャピーク
セブ島で1番高い標高1072メートルの山。トレッキングのツアーもありますがバスで行くこともできます。シティーから2時間ほどダラゲットで下車。そこから30分エスキナ・マンタロンゴンというバス停ですがオスメニャピークと言っても大丈夫。
バス停には大きなマーケットがあって、というよりマーケットにバス停があって忘れ物も調達できます。ローカル食堂もあります。
ここから登山道に入ると2時間ほどで売店などのある登山センターの小屋があり入山料を支払います。
ここまでの道は舗装されていて車も入れます。タクシーだと10分。ここからスタートすることもできます。
センターからは山道になり車ははいれません。山頂まで30分。
オスメニャピークは独特の地形でゴツゴツした岩がたくさんあるのでしっかりした靴が必要です。日陰もないので帽子もあるといいです。
山頂からの景色も特別です。海の向こうにはホボール島も見えます。小さく隆起した地面は緑で覆われていくつもの小さな山が連なっているように見えます。
夕日が沈むのを見届けると、気温はいっぺんに下がります。周りは闇につつまれて真っ暗になりますが、そこからの星は素晴らしくテントに泊まって楽しむグループもありました。
最後に
セブ島の「ダイビングの観光地」のイメージが変わりました。まだまだ自然の中のアクティビティーがありそうです。美しい自然を保つためにも環境保全に協力ながら旅を楽しみたいと思います。
きれいをつくる、自然の暮らし【OrgaLife】